脳損傷の精神障害はツライよという話

脳損傷のイメージ 私の話

私、過去に脳卒中であの世に逝きかけた経験があります。
障害者手帳がでるまでの後遺症は残らなかったのですが・・・。

 

 

脳が壊れるとありとあらゆる障害が起こる

脳の機能

脳は生きていくための中枢です。
ほぼすべての行動と思考が脳によりコントロールされています。
意識/無意識問わずです。

ある日突然脳の一部が消えてしまったらどうなるでしょうか?
脳のその部位にあった機能は停止します。

運動野であれば麻痺となり、記憶野であれば思い出せない覚えられないという記憶障害となります。
本人がそれを認識できる後遺症であれば人格は保たれています。

では思考や気持ちを生み出す部位が壊れてしまうとどうなるのでしょうか?
障害を自覚することが難しくなります。
頭の中の「私」はどんなことが起きても「私」なのですから。

学生から社会人になろうと私は私。
子供から老人になろうと私は私。
疲労困憊や泥酔していても私は私なのです。

他人から見ると別人です。
それでも心の中の「私」は一つ。
体と記憶を引き継いでいくため、性格や人格が変わろうとも「心の私は普遍」だと考えるように作られているのでしょう。

 

 

脳損傷で心が壊れてしまうとどうなるのか

鏡に写った自分

態度が冷たくなった、無感情になった、感謝の言葉が出てこなくなった、怒りっぽくなった・・・。
介護をしている方から「別人になってしまった」という悩みをよく聞きます。
しかし発症を境に別人になろうと心の中の私はまだ私のままです。

患者の中からみると、極自然で当たり前な返答をしていても周囲の人が驚いたり傷ついたりしている。
本人にはそれが不可解に思えるのです。

私も入院中に看護師に何度か注意されたことがありますが、当時はなにがダメなのか分からないままでした。
おそらく検診の時間にはベッドにいないといけない、とかそんな話だったと思います。
今となれば当たり前ですが、そのときは別に大したことでもないなと考えていたのです。

脳神経外科の入院病棟は壮絶です。
一人で楽しそうに会話をしている人。
毎回食事をひっくり返す人。
看護師がいなくなると叫び声をあげて呼ぶ人。
みんなその行為がしたいからしているのであって誰も迷惑をかけようとはしていないのです。
悲しい目をしながら必死に笑いかける家族の姿は見ていられませんでした。

 

 

過去の私を覚えているだけに不安は消えない

仲間はずれのイメージ

私は幸運にも目に見える後遺症はほぼ完治しました。
今は健常者のように振る舞えます。
しかし心の後遺症がどこまで残っているのかは私には自覚できません。

駅で奇声をあげる人、場違いなまでにキレる人、ニヤニヤ笑い続ける人、一人でブツブツ喋り続ける人。
街に出るとまれに見掛ける周囲に戦慄を走らせる人たち。
今ならその人達の気持ちが理解出来ます。
それが心から出てくる当たり前で最も自然な行動だったのです。

自分が普通だと思って毎日行動していることが他人にどう思われているかとても不安。
もしかしたらアブナイ人と呼ばれていないか、周りに迷惑をかけていないか、その不安はいまだに消えません。

性格的にストレスは内側に向かうタイプなので外に向かって爆発はしませんが、それ故になんともツライなぁと。

大丈夫かな俺。
俺は昔の俺をキチンと続けられているのかな。

 

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終末の団地より